こんにちは。やまです。
今日は、ラグビーワールドカップから思い出す僕の大学入試について
お話しをしていこうと思います。
まだ始まっていませんが、今年の2019年の秋にはラグビーワールドカップが日本で行われます。
僕自身、高校と大学時代にラグビー部に入っていたこともあってとても嬉しく思います。
できれば、観に行けたらいいなーなんてワクワクしています。
このラグビーワールドカップという単語を聞くと、僕には忘れられない思い出があります。
実は大学入試で僕は英語とラグビーを絡めたプレゼンをしたのです。
一度目のAOで落ちてしまっていたので、もう後に引けない負けてはならない勝負どきでした。
毎日、朝の4時までプレゼンの準備をして7時には起きて学校に行っていました。
今考えてもよくあそこまで追い込めたなと思いますし、
英語を学んだり、国際交流や留学をする環境を得るために僕は超必死でした。
Contents
ラグビーと英語を絡めた大学入試の挑戦ストーリー
1度目の大学AO入試で落ちて非常に悔しかった
僕は高校3年生の時に、やっと学びたいこととやりたいことが見つかりました。
それは、大学で大の苦手だった英語を本格的に学ぶことです。
英語はもともと塾で過去最下位という劣等生だったのですが、
この大学の合同説明会やオープンキャンパスで英語で夢見ることが僕の大きな希望となりました。
詳しくは下記の記事に書いています。
英語コンプレックスを克服した僕の大きな1つのきっかけについて
また、その大学では交換留学生と国際交流ができたり、
提携校のハワイに授業料が無料で留学できるということもありました。
2回もオープンキャンパスまで行って、9月にはAO入試を受けました。
1次試験では小論文や課題では受かったのですが、2次試験の面接では落ちてしまったのです。
なぜなら、自分に期待しすぎて努力をしなかったというださいパターンです。
ものすごい悔しさと情けなさに僕は落ち込みました。
なぜなら全力を出していないので、後悔したからです。
また、すごく入りたい大学への夢見ていた道が遮断されたからです。
しかも10人がそのAO入試に受けて、落ちたのは僕だけという無残な結果だったのです。
落ちた大学にリベンジしたいけれど、担任の先生には止められる
とても運がいいことに、
そのAO入試は9月、12月、3月と3回もチャンスがありました。
なので、僕は12月の入試にリベンジしたいという意思を示していました。
僕「絶対にリベンジしてやる!」
ですが、担任の先生は生徒を落としたくないという理由だったり、
同じような英文科の学校に指定校推薦という99パーセント受かる方法で受けろと言うのです。
高校の担任「もう1度落ちたらどうするんだ?安全な方を受けろ!」
僕は全くもって聞く耳を持たなかったのです。
僕「その時は、大学なんて諦めて実家の漁師を継ぐもん!」
決してレベルの高い大学ではありませんでしたが、
僕は、どうしてもその大学に行きたかったのです。
で、自分の意思を貫いてリベンジすることになりました。
英語とラグビーを絡めたプレゼンをすることに決めた
一回落ちたということもあって、色んな教科の先生が僕に協力してくれました。
しかも校長先生まで一緒に僕のプレゼンを考えてくれたのです。
その校長先生が「ラグビーと英語を絡めたプレゼンをしなよ!」というアイデアをくれたのです。
実はラグビーは世界的にはサッカーの次に人気のスポーツなのです。
発祥の国はイギリスですし、
かなり盛んな国のオーストラリア、ニュージーランドを始めとした国々だったり、
ネイティブではないけれど、公用語のヨーロッパ諸国などなど
要は、英語さえ話せれば大好きなラグビーをより楽しむことができるし、
一気に多くの国とのコミュニケーションが取れるようになって、
世界への距離感が一気に縮まるからこそ、僕は英語を極めたい!
というプレゼンをより深堀して話すことにしました。
このアイデアをくれた校長先生には感謝しきれないくらい
すごく感謝しています。
ですが、僕は喋りが大の苦手で吃音症なのです。
だから、死ぬほどプレゼンの練習をすることにしました。
朝の6時から学校の体育館でプレゼン指導を受ける
野球部の先生が朝の6時からプレゼンを指導してくれるとのことで、
毎日時間を作ってくれました。
早出も残業にもならないのに、ここまでやってくれて本当に感謝なのですが、
当時は、受かってから感謝しないと意味がないと毎日必死に喋る練習にふけっていました。
声が小さいとか、
強調したい時とその他で強弱をつけることだったり、
優しさと厳しさが兼ね揃えられた指導を受けていました。
当時は、必死だったので厳しい言葉で落ち込むことはゼロでした。
家に帰っても朝の4時まで情報収集やプレゼンの見直しをしていました。
いよいよ本番になりました。
一睡も出来ずに2回目のAO大学入試に挑む
前の日から父親と大学のある札幌のホテルに泊まりました。
完全に体内時計が狂っていたため、全くもって睡眠がとれませんでした。
で、朝の地下鉄では気を失うこともありました。
入試本番は、またしても同じ面接官で2回目の挑戦ですとはっきり話しました。
2回も挑戦する人はいないのか、かなり驚いていました。
で、プレゼンを練習通りに大きな声で強弱をつけて明るい表情でやると、
アニメのように大学教授の面接官は驚いていました。
面接官「君、本気で準備してきたんだね!大学では期待しているよ!」
という合格サインをその場でもらって、ようやく一安心できるなと思いました。
2回目の入試ということで、先生にも親にもハラハラさせましたが、
リベンジしたおかげで大学時代は英語に取り組むことができましたし、
苦労して入学したので、単位も1つも落とさずに真剣に授業を受けていました。
全身全霊をかけて何かにチャレンンジした経験は英語学習にもも活きる
この時に朝の4時まで毎日がむしゃらにチャレンジすることができたので、
僕はその後の英語学習も頑張ることができたのかもしれません。
TOEICは200点台から800点まで伸ばすという起死回生をしていますし、
英語が話せるようになったり、
国際交流や留学にも挑戦することができました。
自分の限界値というのは、なかなか自分が挑戦できないものです。
なぜなら、脳は変化を恐れますし限界への挑戦は本能的に怖いものだからです。
でも、それをやるかやらないかで結果というのは大きく変わります。
英語学習でも自分に負荷をかければ、かけただけ結果は得られるものです。
過去にスポーツや勉強に必死に頑張ってきた経験は、またどこかで活かすことができます。
もしも、それが無いというのであれば、明確な目的を決めて英語学習をしましょう。
英語は、自分の世界や可能性を大きく広げる良い手段となりますよ。
ということで、今回は以上です。
ありがとうございました。
英語塾で過去最悪の劣等生だった男がいかにしてTOEIC800&英語ペラペラと言われるまでに至ったか
僕は0から英語を学んでTOEIC800点を達成し英語だけで外国人の友達を観光案内などもできるようになりました。
センスや才能があったわけではなく、
小学校から通っていた塾では過去ワースト1位の劣等生でしたし、
大学の英文科に入った時も1番英語ができなくて
英語コンプレックス丸出しでした。
そんな僕でも、正しい勉強法、心構え、戦略に出会って
心を入れ替えて取り組んだ結果、
みるみる英語力が伸びていき、
いつの間にか、周りから英語がペラペラだねと
ネイティブの友達からも言われるようになりました。
英語を学ぶ過程で、
・書き続ける勉強法は効率が悪い、
・日本人は本当は英語習得のポテンシャルが高い、
・脳科学的に証明されている英語勉強法
かなりの時間とお金を費やして、
再現性の高い英語学習法というものが確立されました。
僕の教えた方々もどんどん英語で夢を達成しています。
その経験から、
どんなに英語に苦手意識がある人でも
学校や会社で多忙な生活をしていても、
正しい考え方と戦略さえ学んで継続すれば、
どんな人でも英語を得意になることができます。
そして、そういう人間が少しでも増えれば、
世界が狭くなったこのグローバル社会で
海外からの異文化を肌身で学ぶことができたり、
日本の素晴らしさを外国に伝えることができたり、
経済的にも高収入の職種に就くことができるので、
どんどん英語で夢を達成できる人が増えるのではないかと
いう想いで僕は発信をしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。