英語コンプレックスから得意になった僕のプロフィール

どうも、こんにちは。やまです。

最初にお前は何者だ?という感じだと思うので、

僕の自己紹介をしていきます。

 

このブログでは英会話や英語学習についての発信をしています。

もともと英語が大の苦手で英語コンプレックスまみれだった僕が

大学での英語コミュニケーション専攻や留学を基に独学で

どのように英語を話せるようになったかをブログ、Youtube、メルマガで紹介しています。

 

まずは分かりやすく箇条書きで僕のことを紹介すると

・小学生の時から英語塾に強制的に通わされるも、名門塾で初の1年で教科書が終わらない劣等生

・2つ上の秀才の兄と比べ続けられてコンプレックスの悲しい学生時代を過ごす。

・英語が苦手だったが自分の世界を広げたくて大学は東海大学で英語を専攻にした。

・大学の時に0から英語を学んで英語が得意になり、外国人と普通に喋れるようになった

・TOEICは英語学習モチベとして800点までは取った。

・新卒では外資系輸入会社に就職して輸入担当や営業マンを経験

・職場でゴミのような扱いを受けていた僕が英語が喋れる事で上司や同僚から急に尊敬される

・ハワイ3か月留学でまさかの鬼のようにアメリカ人先生から追い込まれる

・1人でフランスや北欧、英語圏に行っても会話に困らずに1人旅行ができる。

・アメリカ、スウェーデン、スイスの友達を全部英語で北海道の観光案内をする。

・英語が喋れるようになってバカだと思われなくなったし、自信がついた

・ネットを使ったマーケティング、集客が得意でコンサルティングもやっている。

・英語を始めて人生や世界観が広がり同じような仲間を作りたいと強く思うようになった

・日本の英語教育や巷の英語商材にブチ切れそうになって有益な発信をすることを決意

 

ざっというとこのような感じです。

今ではやっと英語が得意になって海外の友達と頻繁に絡んだり、

もっと英語力を伸ばすために日々英語を学んでいます。

 

周りからは「英語ぺらぺらで羨ましい!英語教えてよー!」とか

「英語にセンスがあっていいなー」と言われますが、

僕はもともと英語のセンスは酷いくらい無くて、

かなりの超絶な英語劣等生でした。

英語ができないことがコンプレックスで闇の過去を経験しています。

ここからはよりリアルさを出すために会話する感じで話していきます。

小学校の頃の英語塾で歴代史上1位の劣等生だった。

小学4年生の頃から僕は英語塾に通っていた。

なぜなら父親が学生時代に最も苦労した許可が英語だった。

英語ができなくてすごく恥ずかしい想いをしたから、

 

英語だけは早くから学んどけという父親の優しさからだった。

それは有り難いことだったが、僕は英語塾が死ぬほど嫌いだった。

2つ上の兄が小学4年の頃から英語塾に通っており、

兄は常に全教科が学年トップの優秀だったけれど、

 

僕は成績がかなり下で英語ができない劣等生の分際だった。

その塾は個人の小さな塾だったけれど、

そこを出て進学校や名門の中学、高校に行く人を

多数選出させている地元では有名な塾だった。

 

その塾がたまたま僕の実家の近所だったものだから、

兄が小学4年から通っていた。

同じように僕も小学4年から通わされた。

 

しかもマンツーマンだった。

最初にアルファベッドを覚えた後に、

単語を覚えたり、リスニングの問題を解いたりと

授業は進んでいたのだが、僕はリスニングが恐ろしく出来なかった。

 

何度聞いても、先生の言うようには聞こえずに、

ペースも過去最低レベルで僕に合わせたすごく遅いペースだった。

更には1年でそのテキストが終わらずに、次の年も僕は小4のテキストだった。

 

先生は、「こんなにスローペースなのは初めてだよ。1年で教科書が終わらない子なんているんだね。」

まぁ、頑張ろうとは言ってくれたものの、

僕は超落ち込んだ。「やっぱり俺はバカだから英語ができないんだ」

 

すごく悲しかった。

家で泣いたこともあったし、

そんな失敗ばかりする場所になんて行きたくなかった。

 

塾なんて嫌いだったし、

お金をかけて塾に行かせてくれた父親に

僕は塾をやめたいと何度も言ったけれど、

母親も父親も辞めさせてはくれなかった。

 

何度も何度もリスニングをやっても英語が聞こえなかったり、

単語や日本語訳も1度や2度聞いただけじゃ覚えきれずにいた。

それに対して兄はかなり優秀だったので、

家でろくに勉強もせずに、その塾のテキストは余裕で終わっていた。

 

だから兄からは馬鹿にされることもあったし、

それで暴力の喧嘩をすることもあったけれど、

もちろん何の解決にもならなかった。

 

英語が得意な兄と常に比べられて落ち込んだ中高時代

僕の兄は全教科が万能でものすごく勉強が得意だった。

中でも特に英語が得だったからテストでは常に100点を取っていて、

高校も地元では名門の進む学校に余裕で合格。

兄は北海道で1番の国公立大学にも余裕で受かるくらい秀才だった。

 

周りの友達、先生、家族などから兄と僕は常に比べ続けられた。

もちろん兄は褒められまくるから気分が良いし、

それを機になのかかなり自信家の性格になった。

 

でも、僕は常に「お前の兄は秀才だよな!英語力も鬼高くて神だわ!」

と何度も何度も周りの誰もから言われ続けた。

同時にそれは「やま、お前は兄とは違ってバカだよな!間違っても英語とか無理だろう。」

ということを意味していた。

 

悔しかったし悲しかったが、

僕は鬼のように英語を頑張っても全然伸びなくて、

塾に通う割には全然英語のテストも良くないし、

英検も何度も落ちまくりながらやっと3級を取るレベルだった。

だから自分のしょぼさを認めずにはいられなかった。

 

もともとは好きだった英語が自分の出来なさで大嫌いになり、

英語を学ぶ意欲はどんどん消えて、

塾に通わなくなった高校時代は全然英語についていけなくなった。

 

特にリスニング問題は恐ろしく取れなかった。

だからリスニングの多いテストは超絶にひどかった。

 

休みと自由が欲しくて大学進学したいもののやりたいことがない

パッとしない高校時代を過ごした僕は大学に行きたかった。

当時の考えは本当にカスで大学生は自由が多いし夏休みが2か月もあると聞いて、

「自由じゃん!絶対に大学行きたい!」と思うようになった。

 

だけど大学に行くってお金が膨大にかかるし、

全く興味のない学部に行ってもどうしようもないと思い、

やりたいこともなく悩みに悩んだ。

 

周りの友達が明確にやりたいことや進路が決まっている中、

僕は焦りに焦った。

そんな僕がまさかの英語の専攻に進むことになったのは

軽い気持ちで行くことになった大学の合同説明会だった。

 

英語がただの教科から自分の世界を広げる抜群のきっかけと知った大学の合同説明会

大学の合同説明会とかまじでだるいなと思いながら、

バスに乗って北海道小樽市のホテルに行った。

僕は実家が漁師ということから海洋系にも興味があって、

東海大学のブースで説明を聞きに行ってみた。

 

そこでは海洋学科の他に英語の学科の説明を聞くことになった。

英語とか出来なすぎて無理だわーとか考えていたのだが、

留学や国際交流、英語を使ってコミュニケーションをするのは

自分の世界や視野が広がって人生が変わるという説明を聞いて、

 

僕は英語を使って海外に行くとか、外国員の友達を作りたいとか

考えたことがなかったし自分には怖いし関係ないものだと思っていたのだが

すごく興味が湧いた。

 

もしかして英語が喋れるようになって不自由なく海外旅行ができたり、

外国人とコミュニケーションが取れれば

自分の世界がどんどん広がって

なんとなく生きているつまらない毎日が変わるのではないか?

 

そう思うと僕はオープンキャンパスに何度か行って

英語を専攻することに決めた。

 

想像するとなんだか毎日がすごく楽しみになった。

だから僕は大学では国際コミュニケーション学科という

英語や国際文化を学ぶ学科に入ることになり、

合わせてTOEICも大学では勉強することになった。

 

大学はAO入試で入ることができたのだが、

受験生の時に勉強をしなかったことによって、

後々かなり苦労をした。

僕の恐ろしく低いリスニング力ではTOEICや英会話は無理ゲーで苦労しまくった。

大学に入ってからは僕がずっと向き合ってこなかった

自分の恐ろしく低いリスニング力と闘うことになる。

授業でEラーニングをやらされても、

 

簡単な単語の一文字目すら聴き取れなかったり、

とにかく苦労しまくった。

周りの9割の人が解けるリスニング問題ですら、

僕には出来なかった。

悔しかったし恥ずかしかった。

 

これじゃ僕には留学やリスニング問題を100問も備えている、

TOEICで妥当な点数を取ることなんて絶対に無理だ。

ちなみに最初のTOEICの点数は300点くらいだった。

 

ここまでセンスがなければ諦めて違うことをやればいいのだが、

僕は諦めなかった。苦手で辛くてこの時はどうすればいいか

わからなかったけれど、ガムシャラに英語学習に取り組んだ。

 

ハワイ留学を決めてバイトを始めたり、留学生とも積極的に絡んだ。

分校であるハワイ校舎で英語を学ぶために

バイトや英語学習を毎日取り組んだり、

交換留学生として来ていたスウェーデンやノルウェーの友達とも

積極的に絡みまくった。

 

英語学習方法に改善を加えて継続していった結果、

自分の英語力が伸びているという実感を得ることができた。

 

念願だった3か月のハワイ留学では全然自分の英語力が通用しなくてボコボコにされるも、

異文化にどっぷり浸かりながら、

今でも連絡を取る海外の友達に囲まれた。

 

とにかくアホみたく英語を学んだ

人生ですごく貴重で英語に追い込みをかけた。

帰国後は留学で得た英会話の基礎力とTOEICを引き続き学びながら

留学生を全て英語だけで観光案内をしたり、

とにかくできることを精一杯やった。

 

英語力を馬鹿にされていた奴が周りから英語ペラペラだねと評価されるように進化した。

そんな感じで僕は英語に夢中だった。

英語自体も最初は嫌いだったけれど、留学経験や外国人の親友ができたり、

英語を使って自分の世界が広がっていくのが刺激に溢れて楽しかった。

 

気づけば周りの友達や外国人から英語がすごくペラペラだねと褒められたり、

「やまの英語力羨ましいわめっちゃペラペラだもんね!」とか

「Your speak English frequently.It’s so great!」

言われて、僕はその現実を疑った。

 

あれだけ英語ができなくて苦しんでいた僕が英語得意だと?

その時は素直になれなかったけれど、

心の中では死ぬほど嬉しかった。

常に兄と比べられて英語力に自信がなかった僕が初めて解放された瞬間だった。

 

英語ができると特別扱いされるし、英語が喋れると超得する。

僕は英語が得意と言えるようになってから、

今まで馬鹿にしてきていた奴らが一気に尊敬の目で接してきたり、

馬鹿だと罵倒されていたのが、頭良いと言われたり、

 

嬉しくもあるけれど、

たかが英語力で接し方を変える奴らを好きになんてなれない。

というのが本音だ。

 

だって、英語ができるってそんな特別なことではない。

単に学ぶべき学び方で英語を学んで、

目指す目的のために効率の良い勉強やトレーニングを積むだけだ。

 

でも、僕のように昔馬鹿にされっぱなしで、

コンプレックスまみれで自信が持てない人生を歩んでいるのなら、

英語力をつけて、周りを見返してやるというのは

 

めちゃくちゃ有効な人生逆転の挽回方法だと僕は思う。

テレビ、新聞、メディアは英語ができると超すごい!

才能がないとできない。

というように洗脳をしている。

 

また、大手の企業ですら、英語ができるようになんてならない教材を売りつけて、

英語コンプレックスの人を量産して搾取しようとうする。

そんな奴らに騙されてはいけない。

ちなみに聞き流すだけでも話せるようにはならない。

 

このブログでは英語コンプレックスから抜け出して、

英語が話せるようになった僕が強く思うことがあります。

・英語が喋れる人を増やして世界のビジネスの現場で活躍する日本人を増やしたい!

・英語だけじゃなくて人生を豊かにするマーケティング、心理学、コミュニケーション力も上げてほしい!

・英語を喋れると世界が広がって人生が楽しくなる

・英語が喋れるようになって海外旅行を通常の2倍楽しんでほしい!

・もしも馬鹿にされていたら英語力で見返そうぜ!人生逆転しようぜ!

 

英語に熱い想いを持っている読者の方と

実際にご飯に行ったり、

英語について熱く語ったりしたいなと思います。

ということで宜しくお願いします。

英語塾で過去最悪の劣等生だった男がいかにしてTOEIC800&英語ペラペラと言われるまでに至ったか

僕は0から英語を学んでTOEIC800点を達成し
英語だけで外国人の友達を観光案内などもできるようになりました。


センスや才能があったわけではなく、
小学校から通っていた塾では過去ワースト1位の劣等生でしたし、
大学の英文科に入った時も1番英語ができなくて
英語コンプレックス丸出しでした。


そんな僕でも、正しい勉強法、心構え、戦略に出会って
心を入れ替えて取り組んだ結果、
みるみる英語力が伸びていき、
いつの間にか、周りから英語がペラペラだねと
ネイティブの友達からも言われるようになりました。

英語を学ぶ過程で、
・書き続ける勉強法は効率が悪い、
・日本人は本当は英語習得のポテンシャルが高い、
・脳科学的に証明されている英語勉強法
かなりの時間とお金を費やして、
再現性の高い英語学習法というものが確立されました。


僕の教えた方々もどんどん英語で夢を達成しています。

その経験から、
どんなに英語に苦手意識がある人でも
学校や会社で多忙な生活をしていても、
正しい考え方と戦略さえ学んで継続すれば、
どんな人でも英語を得意になることができます。


そして、そういう人間が少しでも増えれば、
世界が狭くなったこのグローバル社会で
海外からの異文化を肌身で学ぶことができたり、
日本の素晴らしさを外国に伝えることができたり、
経済的にも高収入の職種に就くことができるので、


どんどん英語で夢を達成できる人が増えるのではないかと
いう想いで僕は発信をしています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

「英語コンプレックスから得意になった僕のプロフィール」への1件のフィードバック

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